第2章 ご尊顔を拝する
肌寒い日も多くなってきた。しかし、てな様と会うことになった土曜日は、幸運にもお天気に恵まれ、気持ちよい秋晴れであった。
こんな日にデートでもできたら嬉しいな……なんて思いつつ、待ち合わせ場所の駅に向かう。
いや、デートだよ。男女が待ち合わせて、どこかに出かければ、それはデート。なら、私は、てな様とデート!
顔の筋肉がゆるむ。にへへ、と、笑ってしまいそうになる。近所なのだ。誰が見ているかわからない。私は、必死に、教科書に載っていたつまらない古文や数式を思い出し、笑いをこらえていた。
てな様の手は、すごく綺麗だ。だから、きっと不細工なんてことはない。謙遜しているだけだ。
駅に着いた。待ち合わせの十時まで、あと十分ほど。
この駅の東口に、大きな柱がある。そこで落ち合う予定だ。
いるかな、てな様。
「……あれっ」
「……わ」
柱のところにいたのは、クラスメートの横手くんだった。意外なところで会うもんだ。
「やあ」
声をかけるが、軽く頭を下げられただけだった。
参ったな……。
別に、横手くんは、お調子者でも何でもない。むしろ、しゃべっているところをほとんど見ない。どんな声だったかも思い出せないくらいだ。
しかし、私が、てな様の大ファンということは、てな様本人しか知らない。親はもちろん、親しい友達にだって、私がてな様にはまっているなんて話していない。
てな様が来てしまったら、私は、でれでれのだらしない表情を隠せないだろう。それを、冷やかされないとは言え、知り合いに見られるのは、恥ずかしかった。
この駅を待ち合わせ場所にしてしまったことを後悔する。やっぱり、もう少し遠くの駅にした方がよかったかも……。
早く横手くんが去ってくれれば……。それから、てな様が来てくれれば……。
横目で、横手くんの様子を窺う。制服姿しか知らなかったが、モノクロでまとめられたファッションは、おしゃれを意識しているようだ。デートだろうか。いつも見る姿からは、彼女なんていなさそうだけど……。
あれ……。着ているTシャツは……。
「それって、ぼくおじょのイベント限定Tシャツ?」
横手くんの肩が、びくっと跳ねる。
てな様デビュー作の乙女ゲームの、イベント限定で販売されたTシャツだ。おしゃれなデザインで、あまりオタクオタクしていない、珍しいタイプ。上に着ている白いシャツに気を取られて一見わからなかったが、特徴的な胸のプリントでぴんときた。
「……あの……、まくるさん、ですか……?」
横手くんが、おずおずと聞いてくる。
「え? 何言ってんの。私は、黒部 茉来(くろべ まくる)……」
横手くんってば、私のこと忘れてんの? そう思って、つい名乗りを上げて……、はっとした。
え? 今日、この日、横手くんが、てな様デビュー作のTシャツを着て、この駅に来たって、つまり? 私のこと、下の名前で呼んだのって、つまり? つまり、つまり、つまり……。
「……手也、です」
横手くんは、申し訳なさそうに、そう言った。
え……。
手を見た。左手。横手くんの左手。私から見て、右の手。
てな様にもらった写真と同じように、骨ばっていて……、人差し指の付け根に、ほくろがあった。
いや、全然声違うし。美形じゃないどころか、本気で不細工だし。何だこれ何だこれ何だこれ。
横手くんは、すごく悲しそうな目で私を見ていた。私は、ついに笑ってしまった。
「あはは」
「………………」
「はは……」
「………………………………」
「今日やることは?」
「……まくるさんにいただいたお仕事をするために……、スタジオに行きます……」
「はは、OK、OK」
私は、手招きして、早足で歩き出した。横手くんは、慌ててついてくる。
向かったのは、タクシー乗り場。運良く、タクシーが停まっている。
彼を促し、私も乗る。
運転手に、行き先を告げる。
本当は、電車で仲良くお話でもしながら“スタジオに”行きたかったんだけどな……。