【神戯】012:忌徒に到る〈其ノ弐〉【オリジナル小説】

012:忌徒に到る〈其ノ弐〉


「――亜鳩? ……へぇ、カッコいいじゃん、その名前」
【幅馬】の施設にいた頃の夢を見ている。黒宇は即座に気づいた。ぼやけた視界には白髪を長くした少女が映っている。色素の薄い彼女は俯いて赤面していた。気恥ずかしそうに指を合わせて、口をモゴモゴさせている。
「オレは黒宇。カッコいいだろ?」
「……うん。クロちゃん、って呼んでいい?」
「はぁ!? 何だその猫みたいな名前は!? ざけんなッ、黒宇って呼べ!」
「……クロちゃんの方が可愛いのに」俯いて唇を尖らせる亜鳩。とても不服そうだった。
「ダーメーだっ! 黒宇って呼べ!」
「……うー」不服そうに唇を尖らせたまま俯いている亜鳩。
「……だっ、ダメだ! ダメだからな! 黒宇だ黒宇!」
「……うぅー」瞳が潤み出す亜鳩。
「う……だ、ダメだっ! 黒宇って……」
「……うぅ、ひぅっ」泣きじゃくり始める亜鳩。
「あぁ! 泣くな! 何でこんな事で泣くんだよお前!? 泣き止めよ! オ、オレは悪くないからな!」
「ひぐっ、うぅ、っく、うぇ、う……」声を殺して泣き続ける亜鳩。
「――――ッッ分かったよ! クロちゃんで良いよ! クロちゃんって呼べよ! それでいいだろ!? だから泣き止め! 頼むから!」
 結局、黒宇が床に額を擦り下ろすように土下座して、ようやく泣き止んだ亜鳩は、嬉しげに微笑んで、何度も頻りに「クロちゃん、クロちゃん」と呼び始めるようになる。その忌々しい名前が恐ろしく気に入ったらしく、その後、黒宇は再三別の呼び方をしてくれないかと頼み込んだが、全てが物の見事に却下された。
「クロちゃん、クロちゃん」
 その後、小さな声では黒宇が気づかないと知ったため、亜鳩は呼びかける時に黒宇の袖を引っ張り始める。そうしなければ、か細い蚊の泣くような亜鳩の声は偶に聞き逃す事があるのだ。尤も、その呼ばれ方に反応したくなかったせいでも有るのだが。黒宇の小さな反抗心がそうさせていたのだ。
 その日も亜鳩は黒宇の袖を引っ張り、黒宇の気を引こうとした。
 黒宇はその時、運動に疲れ果て、遊戯室でぐったり横たわっているところだった。毎回のように袖を引っ張られるので、即座に気づく事が出来る位には感覚は研ぎ澄まされていた。代わりに袖が皺くちゃの手垢だらけになりつつあったが。
 遊戯室と言っても子供達がはしゃぐ姿は無い。絵本を読んだり、ジグソーパズルに夢中になったりしていて、異常な程の静けさで溢れている。それもこれも皆一様に心を閉ざしているからだ。遊戯室には子供達が駆け回れる空間が用意されているが、そんな活発な動きをする者は黒宇以外に存在しなかった。
「……どうした?」若干力の無い声で黒宇が尋ねる。
「クロちゃんは、いつか、ここを出て行くんでしょ?」
「……あぁ、そうだよ。……出て行ったらダメとか言うつもりかよ?」
 亜鳩はフルフルと首を小さく振った。「ううん……。あのね、クロちゃんが出て行く時、あたしも連れてって欲しいの」
「はぁ? 無理に決まってんだろ、そんなの。お前みたいな奴、お荷物以外の何になるってんだよ。オレは一人で出てくって決めてんだ。お前はここで誰かと結婚して、幸せになればいいんだよ」
 亜鳩は瞳を潤ませ、鼻を赤くして、上擦った声を上げる。「ひぐっ、うぇ、うくっ、あたっ、あたしお荷物にならないもん、誰かと結婚しないもん、幸せにならないもん!」
 目を擦って涙を拭う亜鳩。何を不味ったのかよく分からない黒宇は、突然泣き始めた亜鳩に手を拱く。
「ほら、お前、体が弱いだろ? そんな奴、連れて行ける訳ねえじゃん。だから、お前はここでオレじゃない誰かと結婚すりゃいいんだよ。そしたら女って奴は、誰でも幸せになれるんだろ?」
 当時、黒宇が読んでいた絵本では大抵そんな結末だった。女の人は、男の人と結婚して、ハッピーエンド。なら、亜鳩も誰かと結婚すれば、きっと幸せになれる。
 だが、それを亜鳩は良しとしなかった。
「やだやだぁ……クロちゃん、あたしを連れてってよぅ……うぇっ、うぅ……あたっ、あたし、お荷物になんかならないからぁ……ひぐっ、うくっ、ふぇ……」
 ここまで大泣きされるともう止められない。だがここで妥協したらいけない。と黒宇は幼心に気づいていた。そこで黒宇は何も言わず、亜鳩の頭を撫で始める。泣き止むまで何も言わずに、ずっと。
 亜鳩は泣き続ける。体に残存していた涙を使いきる程に落涙し、やがて泣き声が止んだかと思うと、眠っていた。黒宇はその華奢な体を背負い、保母の一人に預け、その後再び鍛錬を始めた。
 心に微かな傷が刻まれ、鍛錬が思うように出来ず、その日は結局それで止め、布団に入った。――が、すぐに寝つけなかった。
 思い浮かぶのは、華奢な少女の事。
 出逢った当初は悲しげな表情を浮かべている事が多く、口を開く事も稀だった彼女。それが次第に心を開くようになり、黒宇の前では笑顔さえ浮かべるようになった。親しくなった、と言うより、亜鳩が黒宇に懐いてきた、と言った印象の方が強かった。
 ――それでも、彼女を連れて行きたくは無い。
 何故か。理由は分からない。でも、それを選んだら絶対に後悔するような気がした。


 翌日、遊戯室でいつものように腕立てや腹筋を行い、亜鳩の事を完全に意識の外へ投げようと必死になった。ふと、いつもの時間帯になっても亜鳩がやって来ない事に気づいた。結局その日、亜鳩を見る事は一度も無かった。
 翌日も、そのまた次の日も。三日連続で亜鳩の姿を見ない日が続き、流石に心配になった黒宇は、四日目になって初めて、亜鳩が寝床にしている部屋を訪れた。
 亜鳩は熱を出していた。ベッドの上で苦しそうに喘ぎ、涙ながらに呻き声を発していた。
「クロちゃん……クロちゃん……」
 譫言のように繰り返し紡がれる単語。
 黒宇はそれを見て、胸が締めつけられるような想いに囚われる。苦しさのあまり、逃げ出したくなった。それでも足が動かなかったのは、亜鳩を一人にしてはならないという意志が働いたためだった。
 黒宇はベッドの前に跪き、亜鳩の手を取る。熱っぽく、汗でぐっしょり濡れた手を握り締め、小さな声で囁く。
「オレはここにいるから。安心しろ、オレはここにいる」
 言っても聞こえない事は分かっていた。
 言っても意味が無い事は分かっていた。
 それでも言わずにはいられなかった。
「……クロ、ちゃん……?」
 瞼を重たげに開き、虚ろな眼差しで黒宇を見つめる亜鳩。黒宇はどんな表情をすれば良いか分からず、ただ泣きそうな苦笑を滲ませた。
「やっぱ、お前には敵わねえよ、亜鳩。……連れてってやるから、もう泣くな」
 亜鳩が一筋の雫を頬に伝わせて、えへへっ、と泣き笑いの顔を浮かべた。
 彼女は自分が守らなければと、幼心に刻みつけられた瞬間だった。

◇◆◇◆◇

「……あれから、もう九年か」
 ベッドから起き上がると、昨日の格好のまま、黒宇は顔を洗う。その足で食堂へと向かう。
 食堂は職員並びに黒宇のような人達が同時に使えるようにと、かなり広めの間取りになっている。横長のテーブルが十五に、椅子が九十近く。これは流石に多過ぎるだろうと黒宇が思うのも無理は無く、この施設を使っている全員を数えても八十人を超えない。白い清潔そうな壁には汚れ一つ無いのも、椅子やテーブルが綺麗に並べられているのも、職員が毎日のように掃除や整頓を行っているためだろう。厨房の方では年配の女性が閑そうに新聞を流し読みしていた。
 黒宇の予想通り食堂は閑散としていた。熊のような巨体を誇る男と、それに比べ随分と小さく感じる少女が、ラーメンを食べている姿が映り込む。
「よ、カキにチョウ」片手を挙げて二人に歩み寄る黒宇。
 二人の内、先に気づいたのは“カキ”と呼ばれた二メートル近くの上背がある男だった。四角い顔立ちに橙の瞳、坊主に等しい刈り尽くした髪型、そして肩幅が広いために、まるで入道のように感じられる人物。黒宇と似た格好で、ラフなシャツに半ズボン姿だ。
 本名は柿輪(カキワ)。梶羽と同じく先輩に当たる人物だが、人柄のせいか、黒宇は“さん”付けしていない。勿論梶羽同様、敬語も使わない、良く言えばフレンドリーな関係だった。
「おう、クロ坊か。今日はまた一段と早ぇな。まだ朝だぜ?」
「朝じゃない時間に起きるのが普通なのかよ俺は。朝に起きてっから普通に。手前が起きてねえだけだろが」
「はっはっはっ、朝早く起きても何もする事が無けりゃ、寝てる方がよほど有意義と言うもんだ。俺は朝起きてもする事が無いのでな」
「真正の閑人かよ、ッたく……。チョウ、お前も何か言ってやれ」
「あたしがぁ?」
“チョウ”と呼ばれた少女は、ラーメンを噛み千切って咀嚼しながらモゴモゴと応じる。
 柿輪とは対照的に小柄な体躯を有しているが、夢で見た亜鳩のような華奢さ、気弱さとは縁遠そうに映る。群青色の髪がショートカットのせいか、中性的に映り、少年と言われても納得できそうな雰囲気を醸し出している。幾何学模様の長袖のシャツとスラックスと言う姿も女性を意識させない。胸の膨らみも意識しなければ気づかない程度だ。髪と同色の瞳の並ぶ顔立ちを見れば、女性と意識できなくも無いが。
 本名は諜楽(チョウラク)。黒宇の後輩と呼ぶべき少女だが、黒宇に対しては勿論柿輪に対しても敬語を使用した試しが無い。
 この施設の住人は、そういう礼儀作法とは縁遠い人間で主に構成されているため、期待する方が間違いだと言えるが。
「クロだって、閑そうじゃん。何が違うのさ?」
「俺は今日、最終過程だから、閑じゃあねえよ」
「お、遂に最終過程か」ラーメンをずぞぞぞぞ、と啜り上げながら呟く柿輪。「手前もアレを体験する訳か。こりゃ、今日で手前と逢うのも最後かもな」
「カジさんもンな事言ってたけど、そんなにヤベェのかよ? 最終過程って」
「今までの過程じゃどんな事やってたんだよ? それにも因ると思うけどな」
 黒宇は思い出すまでも無く、今までの過程を振り返る。
「実験、実験、実験の連続だったな。俺の〈破限(リミット)〉の異能がどれ程のもんかって、実験って名目で延々と体弄り回された。……でもまぁ、代わりに〈破限〉の異能がかなり強化されたって実感は有るぜ? 前までは一分使うだけでも、もう動けなくなってたからな」

 ――異能。

 黒宇はこの施設に来た事で学んだ事が有る。自分の持つ不思議な力は“異能”と呼ばれる特殊な力だと言う事、そしてそういった力を持つ者が世界には極少数だが存在する事。
 異能を持つ人間の事を、施設の皆は〈異人(いじん)〉と呼ぶ。まんまな名称だな、と思わずにいられないが、しっくりくる名前でも有るので黒宇としても特に不満は無い。
 黒宇の持つ異能は、施設の人間には〈破限〉と言う名称で知られている。名の通り、“限界を破る”力だ。分かり易く説明すれば、身体能力を通常の数倍に跳ね上げる事が出来る……トップアスリートを超える身体能力を、一時的にではあるが、保有する事が出来るのである。
 異能は基本的に先天的な力なのだが、後天的に発生する事例も確認されている。黒宇も幼い頃に気づいてから延々と付き合い続けている。今では手放せない位に自分にとって要に等しい位置づけになっている。
 そういう黒宇のような〈異人〉を研究する機関が、現在彼が所属している組織――〈異人研究室(いじんけんきゅうしつ)〉である。名の通り日夜〈異人〉に就いての調査・研究・実験を行っている、あまり公には出せないような機関で、世界の表舞台に現れた事は終ぞ無い。
 にも拘らず〈異人研究室〉は【竜王国】で一番名の知れている〈神災対策局〉と系列が似ている。両者のスポンサーは共に〈人類復興財団(じんるいふっこうざいだん)〉なのだ。
〈異人研究室〉にしても〈神災対策局〉にしても実状はボランティア団体と然して変わり無い活動を行っているので、金銭面で援助してくれる組織が無いと全く活動が成り立たない。そのため貴族や有力者などの上層階級の人間で構成された世界最大の援助機関、〈人類復興財団〉の後援が必須なのである。
 この機関で何年もの歳月を過ごしてきたので、自然と自分の異能に就いて詳しくなった。研究・実験を繰り返された体は、幼い頃に鍛え上げていたからこそ耐えられたと思える程に、一面では窶れ、一面では強健になったと自負している。
 目の前でラーメンを啜っている二人にも、黒宇とは違う特殊な力が宿っている。そしてその内の一人である柿輪は、最終過程と言う、名の通り最後の実験過程を終了した、〈異人研究室〉の中では〈忌徒(キト)〉と呼ばれる人間である。
 梶羽も〈忌徒〉の一人だが、どうもこの施設にはマトモな人間性を兼ね備えた〈忌徒〉は存在しない気がする黒宇。
「あー、あたしもそんな感じだったかも。あれ、めんどいよね? 色んな薬を打たれたりさ、採血されたりさ。あたし、注射って嫌いなんだよねぇ」
 諜楽が不平を漏らしながらラーメンを啜り上げる。
 その不満には黒宇も同感だった。どれだけの薬物を注射されたか、両手どころか、両足を使っても数え切れない程だ。更に黒宇の場合、毎日或る程度の訓練を行わされていた。
「俺はそれに加えて体育の授業付きだ。……つっても、何か短剣とか棍を使った自衛術みたいな奴だったけどな」
「ま、だろうよ。お前の異能はそういうもんなんだろ? 俺だって似たようなもんだったぜ、丸太の突撃を腹筋で受け止めたりな」
「……カキ、それ地味に死ぬんじゃない?」
 麺を持ち上げた状態で怪訝そうに眉根を寄せる諜楽。柿輪は豪快に笑って話を流す。
「ま、その授業は確実に役立つ時が来る筈だぜ、黒宇。多分、俺達はそのために生かされてきたんだからよ」
 柿輪はそう言うと、ラーメンの丼が載ったトレイを持ち上げ、食堂の奥へと立ち去って行く。
 ふと、諜楽を見やると、彼女は未だにラーメンを啜っていた。一口の量が少な過ぎるためか、中々食べ終わらない。
「チョウは最終過程って終わったのか?」
「ふぇ?」ラーメンを口に入れたまま顔を持ち上げる諜楽。「あたしはまだだよ。クロに先越されちゃうね」
「そか。……ち、結局、最終過程に何すんのか、分かんなかったな」
 舌打ちを混ぜながら黒宇は食堂の奥へと移動する。今日は親子丼を頼む事にした。



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