Android,iPhoneといった携帯電話は、今やとても便利な道具となりました。
それを持つだけでどこでもインターネットが利用でき、友人と連絡がとれ、音楽が聴けて、アプリを導入することで無料のゲームができたり、録音機やストップウォッチにもなる、画期的な未来のアイテムです。
ところで、これを「道具」と認識している人はどのくらいいるのでしょうか?
人が制度を作った後、制度が人を操作するように、道具もまた、便利さ故に人を操作する場面がありますでしょう。
例えば、計算機を例に出しましょう。
計算機は与えられた式に対する答えを出すのには向いていますが、レジでのおつりを考えるとき(財布の小銭を買い物で解消する)は、財布の小銭との相談もあって、暗算の方が早いです。
どういうことかというと、道具には適切な利用が求められるのであって、使わない方が楽な場面があるのです。
RPGでいうなら、ザコ敵を倒すのに、わざわざMPを大量に必要とする大魔法や、相手の防御力を下げる魔法は使わないでしょう? という話です。
また、利用者のレベルや意思に合わせて、スマートフォンの利用範囲も広狭するのも、ご存知だと思います。
メールと電話しかしない人もいれば、プログラム作成をする人もいます。
しかし一方では、社会と繋がる魔法の道具ですので、個人情報を抜き取られたり、お金を取られることもあります。
通話をしすぎればとんでもない請求がくるように、
道具の使い方や注意点を怠れば、使用者を道具(や第三者)が襲う、なんてこともあるわけですね。
いやいや当たり前じゃん! 分かってるよそんなこと! って言われそうですが、
では私たちはどれくらいその「道具」から時間やお金を抜かれて、何をもらったのでしょうね。
自分から何かを抜かれるの、当たり前になっていませんか?
それこそ、道具に使われてませんか?