長いあとがき
作者が作品について作品外で語ることが一種のタブーであると思う反面、この下らない自分語りこそが原稿完成後のご褒美だと思っている私は、いつも巻末のあとがきとは別の場所に、このようなものを書き散らしている。
さて、まずはどうしてまどマギパロをやろうと思い立ったのかだが、結構前のことになるので正確には思い出せない。なんで主人公を杏にしようと思ったのかもわからない。ただ短いあとがきにも書いた通り、命名規則縛りのアイデアは最初期の頃からあったので、中でも書きやすそうな杏を選んだのではないかと思う。
魔法少女まどか☆マギカについて、私はネットでの話題に載せられて、十一話、十二話の同時放映時点で何とかリアルタイムに間に合った人間だ。「謎の白い液体の正体とは……」っていう当時のCMネタが分かる人はどのくらいいるだろうか。それから世界観にだだ嵌りし、新編叛逆は劇場で7回見た。シビアな世界観で百合をやりたいという私の原点は概ねここにあるのではないかという気がしている。最近になってスマホゲーム「マギアレコード~魔法少女まどか☆マギカ外伝」が動きだし、当時の熱を思い出した。ああ、たぶんそれが今回これを書こうと思った動機だった。
アイドルがまどマギやったら面白いやんけ、という思い付きから実際にそれを本として作り上げるまでの間に、けやき坂46が舞台マギアレコードを実際にやるというまさかの事態になり、後塵を拝する形になってしまったが、この公演が成功裏に終わったことは大きなモチベーションになった。
制作期間について
構想は前々から練っていたが、イベント申込み後になっても、長らく冒頭の杏と父親との会話シーンだけがメモとして存在したまま、一文字も進まない時期が長かった。2018年の年末、仕事納め後の12月28日から本格的に執筆が始まった。この間、まさかまさかのほたるボイス発表があったのは、彼女のセリフを執筆するにあたって大変参考になったのは良いタイミングであったが、話の大枠が執筆中に二転三転どころか、十数転していて、同人誌執筆史上もっとも辛い期間を過ごした。正解が全く見えないままで、どうにか前に進めてきた感覚である。
また1月は異様に出張が多かったせいで、全体の半分以上をビジネスホテルで書いたのも初めてだった。さらに、締め切りまで本当にギリギリすぎて、車出張の運転中に音声入力で書いた文が1割ほど存在する。拙作を読んでいただくときは、ひょっとするとこの文章は、運転中に朗々と述べられたものかもしれないと思って読んでみて欲しい。執筆中、私は古の吟遊詩人かなにかか、と心が挫けそうにもなるというものだ。その甲斐あって何とかお手元に届けられてよかったと思っている。
表紙イラストについて
今回も初めてのご依頼となるあいはでこ様にお声かけさせていただいた。風景の描写が非常に美しいイラストレーターさんで、引き受けて頂いて本当に良かったと思っている。依頼にあたっては、主要四人の衣装元ネタの指定と、本家OPラストカットである電波塔に座るまどか達を参考に提示して、こんな感じにしてほしいというざっくりとした依頼をしたのだけど、想像より遥かに美しい仕上がりになった。ちなみに、ソウルジェムの位置について失念していたことに対し、あいはでこ様の方からご提案を頂いたのは本当に助かった。本編の描写は逆輸入ということになる。
登場人物について
双葉杏
昼行燈、有能な怠け者といったキャラが大好きなので、彼女のことは以前から好きだった。アニメでも並はずれた計算能力や、意外にも高い身体能力を見せつけており、ヒロイックに活躍する理屈っぽい人間のくどい一人称を書きなれた私には理想的な主人公となった。彼女の良い所は、自分の能力が高いことを自覚しつつも、そこに限界があることを見切り、妥協を重ねて生きることを知っているスタンスである。才人ではあるが超人ではないというバランス感覚を大事にしたかった。
彼女の背景描写は貴種流離譚をイメージしている。というのは、能力の高さ、都内の決して狭くないマンションに一人暮らし、という状況から、有力者の表ざたにできない子どもなのではないかと邪推したからだ。能力は高いが生来の頭のよさゆえに限界を早々に見切り、大きな成功よりは平和な毎日を望む。そのような邪推をまどマギ世界に落とし込んだ結果、大物政治家の落胤という設定になった。
命名規則に当てはまる中でも、こずえ、紗南という近しいアイドルがいたため、設定上絡めていったが、きらりとの繋がりを描かないことは大きな要素を欠くと考え、命名規則にあわないきらりをこずえと姉妹という設定にし、本作においては苗字を遊佐とするというやや掟破りな対応となった。カップリング的には、いざという時には決めてくれるが、いざというときしか決めきれないヘタレ攻めという認識である。全力で据え膳体制をとるこずえさん相手に苦労していてほしい。
諸星きらり(遊佐きらり)
あんこずをメインにしながらきらりを描写すると決めた段階で、彼女には消えてもらうしかなくなった感がある。一方で、終盤の一番大きな部分を占める存在として、その描写には力を割いたつもりだ。彼女は、博愛主義が万能でないことを知りながら、それでも博愛を語ることのできる論理強者でありながら、見かけほどメンタルは鉄壁でなく、年相応の弱さを持っていると感じている。その解釈を前提に、物語開始時点から理不尽な負荷を掛けた状態として描写したのが本作のきらりである。実は折れる寸前だった彼女を杏が無意識に救い、それが無意識であったが故に、一言でそれを破壊してしまうという筋立て。杏には劇的だった破壊しか見えておらず、後悔ばかりが残っているが、救いを見つめていたきらりの気持ちがこずえを介して最後に杏に伝わるみたいな流れ。彼女の発話を文字表記することのなんと難しいことか。みんなの知っているきらりの声で脳内再生して欲しい。
※小話
じつはまどマギであんきら、という要素をやるのには面白い符合があって、本家第一話でほむらに話しかけるクラスメイトのCVの中に、後に外伝でフェリシアを演じるあやねること佐倉彩音女史がいる(なんとデビュー作)のは有名だが、同じくクラスメイト役として我らがれいちゃまこと松嵜麗女史が名を連ねているのはご存知だろうか。そして、この第一話の再構成であり、改変後の世界である叛逆の物語ラストの教室のシーンでは、このクラスメイトを五十嵐宏美女史が演じている。杏によって過去の存在を消されたきらり、という今作の構成はここから思いついた、……訳ではもちろんなくて、純然たる偶然である。
遊佐こずえについて
杏を主役と定めた後で、関係の深いアイドルで命名規則をクリアする子がいないか探してすぐにヒットした。ちなみにマギアレコードでは遊佐姓の魔法少女が登場している(なんとCV佳村はるか)。彼女に関する知見が浅く、調べれば調べるほど分からなくなったので、渡辺伊織氏の未来捏造アヤこず漫画から着想を得て、アウトプットはふんわりしているが、頭は悪くなく、想い人のいない所ではその情の深さと苛烈さを垣間見せる複雑な人格を想定した。平仮名だらけの発話と、地の文、メールの文面のギャップは狙ってやったものだが、違和感や読みにくさは残り、他に効果的な見せ方があっただろうかと気にはなっている。
魔法少女化の理由付けとして安易に不幸にさせるのは避けたい気持ちもあったが、後に付け加えた人形というキーワードとの符合も併せて、歩けないという設定を加えた。本家の上条恭介が念頭にある方には、体を治すことが契約の願いであるとミスリードできたかもしれないが、あんまりしっかり狙った感じにはなっていない。前提としてきらりとこずえに深い家族愛があり、それを起点にして杏への愛情が生まれるという筋立てのつもり。
彼女についてはアヤとの関係も外せないというか、あんまり全部乗せにすると複雑になるのが怖かったのだが、アヤこず両方が折角命名規則をクリアしているのだから、書かないのはもったいないと思ったところ。しつこく主張しているが、弊サークルは他カプ前提描写を是としているので、有力な組み合わせが複数ある場合には、同一世界戦においてそのうち二つ以上の関係性を両立させることが多い。杏の知らない場所でのアヤとの関係性があってもいいのだ。杏は理性的な人間であり、こずえにもプライベートがあることを理解し、それを全て自分に向けることは決して望まないので、それが成立している。
結城晴について
ユウキはシンデレラの中でさえ存在するので、すぐに候補となった。彼女の絡みについては、的場、橘、一ノ瀬と、命名規則をクリアしない相手ばかりだが、総選挙時に公開されたアイドル紹介コンテンツにおいて年を跨いで提示されたはるほた案件(はる→ほたる:かわいい、はる←ほたる:優しい)から、かわいい年上女子に優しくする結城晴概念が爆誕してしまい、シラギクがギリ条件を満たせると判断したことから、セットで採用となった。
スタンスが分かり易く明快なため、難産だった本作の中でも、彼女視点の六話はすんなり筆が進んだ。本家でのひねくれる前の杏子の印象がある。晴は、U149のメイン回のおかげで、自分の中でほぼ完成形的解釈が存在していた。やや人に流される傾向もあるが、やりたいこと、嫌なことはハッキリしており、自分なりにはよく悩むタイプであり、決断してからは早い。だからこそ、関係性としてはほたるがまず先行し、悩みつつ引きずられ、吹っ切って走り出すという筋立てになった。少年感があるせいで、百合的にはどうにも思いを寄せられる傾向にある気もするが、自分の中で答えを出した時の瞬発力を考えると、自分から行く展開も捨てがたいと思っている。
白菊ほたるについて
シラギクをOKとするかはちょっと迷ったが、花の和名は基本的にはあり、という判断基準でありとした。あんこず、はるほたをやると決めた後に、6thでほたるのボイス決定が告知され、執筆中に声が付き、という流れだったので、描写に非常にモチベーションが持てた。手折られぬ華、という修辞が秀逸だと以前から感じていたので、彼女の魅力の一つである、芯が強いという面を最大限に押し出した。
彼女の不幸にまどマギ的な理屈付けをしようという試みの中で、体に魔女を飼っているというイメージを立てて、そこに肉付けしていった形。ここで意図せずに双子という設定が出たことで、主要四人全員に姉妹という共通したキーワードが生まれることになった。なお、これも偶然である。
三好紗南について
準メインキャラといった立ち位置の彼女。当初は最初に出てくる魔法少女という程度の役割しかなかったが、杏の契約へのインセンティブとして彼女の存在を組み込んでしまったため、以後はいさようならで出てこないとなるとあまりに勿体なく、じわじわ出番が増え、結果的には便利な役割を担ってくれた。ミヨシについては、後で調べてみて結構マイナーな名前だと気付いたが、知り合いに現存するので特に迷わずOKとしていた。ああいうラストシーンにするなら彼女も表紙に書いて貰えばよかったと後悔もあるが、時間を巻き戻せでもしない限りそれは諦めるしかない。ちなみに、マギアレコードには双葉紗南という魔法少女が登場しているので、杏と紗南とで非常にややこしくなってしまった。タイミング的に先輩にはなったが、杏のことを慕っており、冗談めいてでも「相棒」と呼ばれることを結構喜んでいる。魔女との戦いをゲーム感覚でやっているが、彼女にとってゲーム感覚というのは遊び半分という意味ではなく、寧ろ最高に真剣である、ということになる。この辺りまでページを避けなかったのはちょっと残念。とはいえ全員に見せ場を作るために全体が冗長になっては本末転倒だ。製作期間があと1ヶ月あれば彼女の主役エピソードも作ったと思うが、仮定の話は何とでも言える。
綾瀬穂乃香について
名前と年齢で当初から有力候補であったのだけど、フリスクで絡められる喜多見柚や桃井あずきと思いのほか年齢が離れていることがネックになった。今回これを書くために調べるまで、柚が中学生だと知らなかったのである。てっきり高校一年生かと……。そんなこんなで彼女の立ち位置は一時的に漂流しており、あんこず、はるほたを軸で行くと決めたタイミングで、きらりを忘却した時点でのあんこず二人のお仕事の様子を描くにあたり、1エピソードだけのゲストというかスポット参戦の形にすることで落ち着いた。とはいえ、なんで彼女が魔法で人を殺してしまう展開になったのか、割と真面目に思い出す事が出来ない。当初は大好きな親友に魔法少女であることを知られてしまい、その記憶を消すために杏を頼ってくるみたいな割と平和で青春っぽい展開だったはずなのだけど、ギミックが思いつかずに頓挫してしまう。取り敢えず基本に忠実にバレエから話を広げようと思った時に、彼女は努力で何とかなることを魔法で叶えたりしないだろうという気がしたので、ありきたりなトップダンサーになりたいみたいなのをまず消した。怪我でバレエが出来なくなって、みたいなのも王道だが、遊佐家を既に事故に合せているので断念。昔、クラスメイトでバレエを習っている女子が愚痴を言っていたことを記憶の隅から引っ張り出して、成長に伴う体型の変化によるスランプ、更に、セクハラを受けているというダブルパンチで奇跡にすがる動機付けにしようと考えた。……普通に考えて、作中に出てきた悪役以上に、私こそ娯楽のために彼女らの運命を弄ぶ下種であるわけだが閑話休題。それでも最後の一押しは自分の被害というよりも、他人を守るためである気がしたので、自分の願いによって――直接の原因ではないが因果関係として――犠牲にされそうな友人を守るという構図になったのだけど、当初、この相手は適当なモブキャラだった。しかし、この立ち位置は穂乃香の魔女化を救ってくれなくてはならないので一定のインパクトが必要になり、結果的に同郷同年代で特別な理由付け無くそこに居てよいキャラとして佐久間さんにご登場願った。魔法少女にはならないので名前ルールには縛られていない。
バランス感覚に結構苦慮させられて、ここでのセクハラ描写はかなり何度も書き直した。穂乃香がぶちぎれるレベルの酷さで、かつ、話の方向性がぶれない程度に抑えて、と考えていたので結果的に彼女には非常に酷な感じになってしまったのは申し訳なかったと思っている。後半で再登場の案もあったのだが無理やり絡ませるよりはゲストに徹した方が良いと判断したところ。
佐久間まゆについて
個人的にまゆさんは普通にちゃんとした普通にすごい人だという認識がある。仙台出身というだけでご出演願ったのだが、殺人という秘密を共有した二人の女性の関係性というところに非常にフェティッシュなものを感じている。彼女たちのその後は書くなら腰を据えてしっかり描きたかったので、中途半端な後日談は書こうとしたけど止めた。自分の為に殺人を犯した綾瀬穂乃香に彼女はどのように向き合っていくのだろうか。
桐野アヤについて
年齢的にはぎりぎりだが、命名規則をクリアし、かつこずえと強力なつながりのある彼女は出来れば出したいと考えていた。当初は、杏と別行動中のこずえと偶然出会って暫く行動を共にし、魔女化→こずえが殺して、濁りを心配した杏がグリーフシードを仕舞おうとする。そこでこずえがそれを止め、前にもこんなことがあったような、というようなことを言って過去編(きらり編)への導入する予定だった。しかし、彼女の魔女化の理由だとか、そもそもどういう願いで契約するのだろうとか、背景情報を考えていく中で当初案とズレていった。物語全体としては最後にラスボスがいて欲しいという流れがあって、ならば誰かを守りたかったという願いを抱えたまま絶望し、こずえを守っているつもりで閉じ込める強力な魔女として彼女を設定した。彼女の契約の願いや、契約した経緯はここから逆算して設定していった。ちなみに、後述するが塩見周子は締め切りの24時間前に思い付き、12時間前から書き始めたので、当初案とは結構変わっている。当初案ではこずえとの関係性に重点が置かれていたが、塩見周子を設定することで、こずえからアヤに向ける感情と、アヤからこずえに向けての感情のレベル感が揃い、周子とアヤとの関係性にも一定の厚みが生まれたと思う。
塩見周子について
上述したが締切24時間前まで影も形も存在しなかった。当初、登場アイドルを見繕っていた時にはなぜか弾いていたのだけど、調べてみるとシオミという名前はメジャーではないものの、ある程度実在はしているようだ。彼女のことはPSYCHO-PASSパロでも悪役的な位置に描いてしまっているのだが、どうしてもどこか魅力ある、しかし立ち位置的に善というより悪、というポジションにはまりすぎているきらいがあって、ご登場願ってしまう。鉄板である紗枝はん以外に、既に三船美優との絡みも何度か書いており、今回は桐野アヤと、脈絡のない組み合わせを書きがちなのだが、彼女のちょっと湿度の薄い刹那的な触れ合いの距離感が、どうしてか様々な相手との関係性をとても書きやすくしている気がしてしまう。私の中で彼女には拭い難い紙一重感があって、人生のどこで踏み間違えても公式のような自由で生き生きとした彼女にはなれない気がしてしまう。そういう可能性の一つの提示を二次創作でやるというのは、誰が得をするのかわからないが、公式以外でやる意味のあることだと私は思っている。
魔女について
物語的に必要ではないので本編では明かすことのなかった魔女の設定について、ここに披露しておきたい。ツイッターを見ていると、魔女文字を自力で読めるという筋金入りのまどマギクラスタがおられたようで、その方には、魔女の話している内容や魔女名がわかったことだろうと思う。発言を見れば、概ね元ネタがわかるようにはなっている。実は、ちょっとしか出番のない早くの魔女を除き、名前のある魔女は全て設定が存在する。もちろん、その中にも濃淡があるが、どのような魔法少女だったのかというような漠然としたイメージはある。
一、二話の魔女
第一話に登場する使い魔、そして第二話の魔女は、浅利七海をイメージしている。彼女は本編に出すことも想定していたため、少ないながら設定が存在する。彼女は海と魚を愛しているが、顔を水につけるのが怖く泳げなかった。そしてキュウべえと出会い、水中で自由に泳ぎたいという願いで契約をする。魔女との戦いの傍ら、海底を散歩することを日課として彼女はしかし、家の近くの海岸にほど近い海底が、不法投棄の現場となっていることを知る。海に捨てられるゴミを見るにつけ、多感な彼女は、命を呈してまで自然を汚す人間を守る必要はあるのかという悩みにとらわれ、ある日、魔女化してしまう。魔女名はKRAKEN(クラーケン)。ゴミ掃除の魔女、その姿はタコ。この魔女は彼女にとっての神聖さの象徴である海に投棄された人々の悪性を地上に送り返すことを使命としている。魔女文字を解読すると、彼女特有の舌足らずな発音で「~れす」と言っている。
四話の魔女
ほたる編に登場した魔女に元ネタはない。魔女名はNamelessとしている。生まれていない=名前がないということなので。本編に描写した以上の設定はない。
六話の魔女
第六話で晴が倒している魔女の元ネタは桃井あずきである。初期案では綾瀬穂乃香のストーリーに絡ませられないか想定していたが没になったものを流用した形。彼女は、好きになった相手と恋人になりたいという願いで契約したが、暫くして、自分が欲しかったのは恋人ではなく、好きな人との駆け引き、つまり恋愛という体験そのものであったことに気づき、自分が契約によってそれをみすみす失ったことでソウルジェムを濁らせる。魔女名はToraToraTora(トラトラトラ)。真珠湾攻撃の奇襲開始電文から。企て、作戦、といった要素をあらわす記号として付けたもの。
八話の魔女
第八話の魔女は塩見周子である。魔女名はEpimenides(エピメニデス)。名前の由来は自己言及のパラドクスで有名なギリシアの哲学者で、所謂「クレタ人は嘘つきだ」というクレタ人、である。最後の最後に嘘つきであることを選んだ彼女は、ある意味においては正直だった、という皮肉をあらわしている。
九話の魔女
第九話の魔女は桐野アヤである。魔女名はDon Quixote de la Mancha(ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ)。かの有名なドン・キホーテより。今作においては、アヤは周囲の環境の中でかわいい女の子であることを諦め、かわいい女の子を守る格好良い存在に変わっていき、その極致として狂気に堕ちた騎士の姿をとったという解釈。魔女になっても誰かを守ろうとしていて、セリフも読み解くとこずえを守るつもりでいることが分かる。
ストーリー構成について
使った本人も含めて記憶を失くしてしまうというギミックの着想がどこから得られたものだったかきちんと記録していないのだが、作りとしてはそれほど奇抜なものではないんじゃないかと思う。ただあえてそのようなギミックを作品の構成の肝に使おうと思ったのかと今振り返って考えると、物語の後半に過去を回想するという一つのお約束の流れに、物語的な整合性をつけてみたいという考えがあったのだと思う。過去編をどこに挿入するかは神である作者の意図次第であるが、本作では実際に過去の描写を挿入する位置を後半に持ってくることに、一応、物語的な説明をつけている。つまり、杏がその記憶を取り戻すその時に、まさに読者もまたその内容を知るという一種のシンクロ的な感覚を産めないか無い知恵を絞った結果なのである。
もちろん大きなインセンティブとして、タイプトラベル物の醍醐味を素晴らしい流れの中で描き切ったまどかマギカ本編10話の構成が頭にあったのは確かである。クライマックスの直前に、何か意外な展開を作れないかという小癪な小細工をいろいろと思案している中で出てきた案の一つをどうにかこうにか形にしたのである。
本当ならば、綾瀬穂乃香が主役だった5話のような、今のあんこずのストーリーをあと一つか二つ追加して、視聴者があんこずのコンビ間になれたところできらりの話を挿入すべきだったというのは分かっている。二人の相棒っぽさを描写する紙幅をもう少し準備すべきだったという後悔はある。しかし、何度も言ったが、それを追求すると本は一生出ないのだ。
それから、まどマギパロと聞いてもっと悲惨な結末を辿るのではないかと危惧ないし期待されていたんじゃないかというのは思うところなのだけど、既に述べている通り本作は何度も展開が変わっていて、当然に、もっと救いのない展開を辿る構想もあった。ただ、虚淵氏の作品の良いところは、悲惨な目に合う時には必ずその原因がある(帰責性ではない)という納得感であると思っていて、いろいろ悩んだ結果として死なせる必然性のない数名が生き残った、というのが実際のところである。一番有力な結末は、誰もが杏を忘れてしまう中、こずえだけが杏の願いで記憶を保ったまま、彼女のいない世界で戦い続けるという案があって、締め切り5日前くらいまでそれで行くつもりで、実際書いてもいた。決してアイドルだからハッピーエンドにしなければいけないと思ったわけではないのだけど、これは完全に舞台設定の影響だ。
私は物語の結末が早朝なのが好きだ。太陽が出たか出ないかくらいの時間帯が好きで、ラストシーンをそこに合わせた作品をいくつか書いてきた。うっかり、本作のラストシーンも朝焼けの時間帯になってしまって、それを思い浮かべた瞬間に、その空気に相応しい終わりを迎えたくなったのだ。彼女たちの未来は全然明るくない。そう遠くないうちに終わってしまうと分かっている。本編においてすら、その事実は全員に共有されてはいなかったのに。そういう境遇の中で、さっきまで大変につらいことがあって、一人の魔女を葬り、この先の展望はどうしようもなく暗いけど、今、守りたい人たちは一緒にいて、朝焼けが美しいということに、何か意味を見出したく、ああいう終わり方をした次第である。
『結末は美しくあらねばならず、結末が美しくあるためには話が破綻してもいいし矛盾が生じてもいい。謎が残ったままでも、伏線がすべて回収されなくても、登場人物が不幸になっても、書き手が書き足りなくても、読み手が納得しなくても良い。ただし、絶対に美しくなければならない。』
これは過去の私のツイート。
この気持ちは変わってなくて、これを描いていた時の私にとっては、あの形がたぶん、一番美しかったのだと思う。