1
死は呪いだと教わった。
何処までもついてくる忌まわしい影であり、だから消し去るべきという論法にはまったく疑問を抱いていない。そうした社会に生まれた私は当たり前に教えを信じ、長じてからも依然変わらず、世の道理として弁えた。
闇はいつも傍にあり、苦痛と恐怖を与えてくる。呪いを完全に拭えていたならきっとこうはなっておらず、遥か昔に死の一部を失った我々は生の一部も失って、とても半端な状態になったのだ。
それが不死者。この世界がある限り、永劫に解けない縛鎖の名前。初めてその棘を自覚したのは、確か八つのときだったと思う。
私の故郷は、たった一晩で赤い炎に舐め尽された。事情としては単なる小競り合いだったらしいが、焼かれる側には何の慰めにもならないことで、両親と兄弟はあっという間に黒い炭の塊となった。
そして苦しみ続けていた。蠢き、嘆き、助けを求めて……だけど決して楽にはなれない。元通りの身体に回復することも、消えて解放されることもなかった。
不死者とはそういうもの。
死の概念に内包される要素の中でも、痛みというもっとも唾棄すべき呪いが残り、肥大している。だから老いはあり、病もあり、負傷も常識の範囲でしか治らないが、彼岸の世界とやらに旅立てない。鎖に繋がれた虜囚さながら、半端に死んで半端に生きてる。
なら、本当の不死を目指すのは至極当然の話だろう。真に十全なる在り方とは何か――痛みを超越した永遠こそが答えだと、生国の常識を確信して受け止めた。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん。お願い、もう少し待っていて。
私は頑張る。必ずみんなを救ってみせる。決意を胸に歩き始めた幼いあの日、迷いは炎の中に置き捨てた。以降、立ち止まることはない。
一介の戦災孤児に過ぎない私が世界を変えるほどの力を持つには、もちろん無茶が必要だ。まともにやっていたら人並みになれるかも怪しい限りで、相応の代償を覚悟せねばならない。
では何を払う? 財産と呼べるものは身体一つしかなかったので、私はこれを売ろうと考えた。十歳のとき、自ら闇医を訪ねて両の脚を切り落とす。
上流の人間には、そういう嗜好の持ち主が少なからずいると知ったからだ。人体パーツの蒐集家。それは実に不死者的な趣味だと思う。
切断された私の両脚も、不完全な死に囚われている。本体から離れた時点で成長はしなくなるけど、依然“生きたまま”なのだ。腐っても、骨になっても、痛覚触覚は残っていて私に届くし、なんとなれば動かせもする。
これがセレブには面白いらしい。釣られたばかりの魚みたいにぴちぴち跳ねる肉塊を部屋に飾って、心の平穏を得たがるのだ。自分で味わうにはリスクがありすぎる刺激を他人に負わせて観察すれば、生や死のなんたるかを分かった気になれるのだろう。
愚かしいが、理解不能なわけでもない。
スラムから宮廷まで、流血が日常なのは何処でも同じだ。世界が戦争だらけなのも結局その延長で、みんな“生きる”ために誰かを壊したがっている。
私もそこは同じなので、何でも利用すると決めていた。売り払った両脚を購入した人物の特定はできないが、あちらはこちらの素性を把握してるし経過を遠巻きに眺めてもいる。ある種の男性が女の子の使用済み下着を買うときに、売り手のデータをセットで欲しがるのと似たようなものだろう。そのほうが楽しめるからだ。
かくして私は、足長おじさんを手に入れた。彼の援助で学校に通い、義肢を取り付け、軍に入って出世を目指す。さすがにいきなり幹部候補とはいかず、一兵卒からの始まりになったが別に不満は抱いていない。パトロンの期待に応える限り、栄達への階段は用意されるはずだった。
私の両脚は今も何処かで、誰かの慰みものになっている。針で刺されたり、焼きごてを当てられたり、しゃぶられたり齧られたりする感覚は引きも切らず、痛みや不快さに都度反応してあげるのを忘れない。実際にかなりきつくもあったので、演技をしているわけではなかった。
加えて、義肢を取り付けた副作用もある。走れない軍人なんて意味がないから必須の処置だったけど、言った通り私の脚は生きているため両立するのが難しい。主観的には四本足の状態で、これが混乱をもたらすのだ。
人間の脳は四つの下肢を動かせるようにできていない。よって処理が追いつかず、頭がおかしくなりそうになる。
一般にサイボーグ化手術が忌避される理由はそこだった。狂人と紙一重の超人か、私のようなやむにやまれぬ事情を抱えた底辺以外、何の得もない愚行である。でも、だからこそパパには楽しんでもらえるというものだろう。
私がもがき、苦しんで、徐々に壊れていく様を見るがいい。
湯水のように金を使え。哀れな家畜に慈悲を与える聖人気分で、愛と権力を注ぎ続けろ。
すべてを搾り取ってやる。絶対に――そう絶対に絶対に負けてやらない。
私はアリヤ。この狂った世界を正すべく、真実の不死を願う“連邦”の弓だ。
◇ ◇ ◇
死は決着だと考えた。
死んだら正味どうなって、どんな状態を死とするのか、ちゃんと知っている奴はおそらく一人もいないだろう。俺も含めて。当たり前の話だ。生まれたときからみんな死ねない生き物だったし、百年前でも千年前でもそこはまったく変わらない。さらにひたすら遠い過去、最低限の信憑性をもって史実と言える限界の時代まで遡っても、そこには“昔々のお話だが”という注釈がついている。
つまり、始まりは神話の領域だったのだ。死ねる世界から死ねない世界へ塗り替える“撹拌”とやらが起きたとき、具体的に何がどうしてそうなったのかは不明のまま、ずっと闇に包まれている。
分からない。だからあれこれ考えるのだ。どいつもこいつも雁首そろえて、もっともらしい理由づけをあーだこーだとこね回すが、答えなんか出るはずもない。
この世界には終わりというものが抜け落ちている。死が消えたのは生き物全般だけじゃなく、もっと大きな意味での構造的に、だらだら続くのが一種の決まりとなっていた。閉幕がないから開幕もなく、ケリを付けられないから区切りもなく、新しい何かが生まれ出でる余地はない。
その象徴じみた出来事を、ガキの時分に経験している。
俺の故郷はどうにも複雑な政情らしく、当時は分からなかったが要約すると、いわゆる緩衝地帯ってやつだった。
常に喧嘩してるでかい野郎どもに囲まれたチビみたいなもんだろう。腹いせや気紛れに小突き回されるのが日常で、そんな日々が三〇〇年くらい続いたと聞く。そこまでいけばもはやそれが当たり前だし、俺の故郷がボコられ続けることを前提に世の中は回っていた。言い換えれば、俺たちが不幸じゃないと他の奴らは困る。
すべての災いをルドリヤに閉じ込めろ――なんて謳うお偉方もいたそうで、お陰さまというか苦労だらけの毎日だったが、一般社会を知らないせいで自分らがどんな目に遭わされてるかを自覚していなかった。あの日、あんな事件が起きるまでは。
俺たちには姉貴がいた。血が繋がってるわけじゃねえけど、育ちの悪いガキどもは兄弟同然につるんでいたからそう呼ぶことに疑問はなく、みんなが姉貴を慕っていた。
すげえ乱暴な奴だったし、自己中極めた性格してたんでしょっちゅう殴り飛ばされたがな。豪快を絵に描いたような性格と、冴えた頭が魅力的で頼りにしてたよ。こいつについていけば間違いないって、ヒーローみたいに思ってた。
憧れてたから、姉貴が実はやんごとなき血筋だと分かったときも驚かなかった。そりゃそうだろうなと納得して、むしろ興奮したのを覚えてる。
俺らのヒーローはマジに選ばれた存在で、特別な運命ってやつを生きてるんだ。なあおい、これで燃えなきゃ嘘だろう?
なのに、どうしてああなったのか。
俺らを人質にして、姉貴を連れ去ったのは自国政府の連中だった。これが長らく行方知れずになっていた王族を迎える家来だなんて、穏当なものじゃないことくらい馬鹿な俺でも一目で分かる。それだけに、どうしても分からなかった。
周りを囲んでる大国どもに好き勝手やられてきたのは、この国の正統なリーダーが不在だからだ。なら姉貴が立ち上がることで三〇〇年の歴史は終わると、ごく単純に信じてたんだよ。誇らしくて、嬉しくて、そこら中に触れ回ったのは他ならぬ俺だったし、こんな未来は予想だにしていなかった。
暑い夏の日……姉貴が攫われて二ヶ月経った頃、噂を聞いた俺らは軍施設を強襲した。全員血だらけになって突き進み、辿り着いた砂浜の一角を狂ったように掘り続ける。
泣きながら、叫びながら、何処だ姉貴と喚き続けて……再会した俺たちのヒーローは、もはやなんだか分からないモノになっていた。
凄まじい腐臭が鼻を衝く。穴の底から現れたソレは立ち上がって歩きだしたが、ざわざわと波打つ輪郭は数えきれないほどの虫や甲殻類に埋め尽くされて、人体の面影がまったくと言っていいほど見当たらない。かつては燃える炎のようだった金髪が萎びた雑草みたいに色を失い、強い意志を湛えていた両の瞳は蛆が蠢くただの巣穴と化している。いつも俺たちを叱り飛ばした口は下顎を失って、だらんと垂れ下がった青黒い舌には大きな百足が這っていた。
姉貴、嘘だろ――あんたなのか? 放心して呟く俺に、彼女はふらふらと手を伸ばす。黄色い粘液を滴らせ、肥え太ったヤスデや船虫に貪られている掌からは、以前の温もりを感じることができなかったけれど。
頬に触れられたとき、これは姉貴なんだと直観した。撫でてくれたのか、叩いたつもりなのか、それすら不明な弱々しいものだったがどちらでもいい。
俺は号泣して、姉貴を力いっぱい抱きしめた。弟妹たちも同じように、取りすがって泣き続けた。
汚いとか恐ろしいとか、そんな思考は頭の片隅にも浮かばない。
姉貴は生きてる。終わりがないので永遠に、ずっとずっと崩れ続ける。
だから決着をつけてやろう。
武装した兵隊どもに囲まれた砂浜で、最愛の女を抱きながら無力な自分に別れを告げた。
俺はシャクラ。この世に終わりを刻むため、暴れ回ると決めた“戦群”の嵐だ。
◇ ◇ ◇
死は義務だと心得た。
私が生まれ育った国は、自由と規律を尊んでいる。こう言うと矛盾に聞こえるかもしれないが、要は己の行動に責任を持つのが人の条件だとする考えだ。
思うさま、好きなように生きることこそ厳格な道。獣と一線を画して在りたいなら誇りの何たるかを忘れてはならず、自己を律する鋼の掟が必要になる。そしてそれは、当人の中でのみ完結するような儚く途切れたものであってはならない。
善し悪しに関係なく、何かしらの教訓を後に続く者たちへ残さなければ、人の世は同じところを回り続けてしまうだろう。よって自由とは矜持。規律とは歴史の継承。先へ進んでいく意志のリレーが、真に無謬なる不死性を編み上げるのだ。
尊き種の歩みは慈しみ、守り、発展させていくべきもの。誰しも自分の力だけで生きているわけではないという月並みな、しかし重い真理を忘れた奴輩は誅すべき。歩みを滞らせる病のごとき歪みとして、抹消するのが法で正義だ。
四〇〇年前、国祖の帝が連邦に背いて独立したのは、紛れもなくそのためだと分かる。件の大国は共和制を謳っていながら実質たった一人による独裁であり、“奴”は今日にいたるまで君臨し続けている正真正銘の怪物だ。もはや妄執めいた不死への渇望しかなく、そうした狂気に国家全体が侵されている。
ゆえに連邦では継承が起きない。自由は独裁者の思想を複製した記号にすぎず、物質的な永遠を乞うあまりに精神が停滞していた。これは既得権益の権化じみたもう一国にも言えることで、三竦みなどと評されるのはまったく心外な話だった。
我々は違う。人一人の器には限界がある以上、同じ世代がいつまでも居座るなど愚かを通り越して害悪の極みだ。より良い未来へ至るため、古くなった者らはバトンを渡して速やかに去らねばならない。死は義務である。
この確信は妄信に非ず。国情に引きずられた思考停止の産物とは、断じて違うと言い切れた。私なりの自由意思で、継ぐべき美徳を選別し、規範を定めた結果として今がある。
生き続ける個人とはどんなものか、幼い時分に敬愛する曾祖父から教えられたのだ。
ガラス越しに見るその部屋では、肉塊としか呼べないものが横たわっていた。私が産まれる数年前に癌を患った曽祖父は、以降すべての治療を拒んだらしい。
ありのままを見せつけるために。不死者の末路を若い家族に伝えようと、あえて無残な老醜を晒している。すでに全身の九割以上を癌細胞に蝕まれ、人としての体裁が崩壊しても留まる道を義務としていた。
もちろん、これは一般的なことではない。むしろはっきり異常とさえ言える。
我ら不死者は死ねないからこそ、健常な身体を保てなくなったときは跡形もなく消してほしいと願うのだ。壊葬と呼ばれる処置で骨も残らず燃やし尽くし、精神だけの壊者となる。その状態でも苦痛は消えぬため楽になるわけでは決してないが、少なくとも人目を気にしなくていい。
物理的に消える。誰からも感知できない存在になる。これが不死者にとって死の代替。
私たちの多くは、崩れた姿を見られることに耐え難い恥を覚える。身動き取れぬ闇の中で、痛みに苛まれながら好奇と哀れみの視線を浴びるのがどれだけの屈辱かは、特に語るまでもないだろう。
よって曽祖父の選択は異端だった。そして、だからこそ誇り高くもあった。
苦しかったろう。恥ずかしかったろう。同じ状況に私が耐えられるとは思えない。
だというのに、曽祖父は揺るがなかった。腐汁に塗れた腫瘍だらけの顔を上げ、こちらを見つめる瞳はとても優しく、また凛冽な光を灯していた。
自然、私の背筋は伸びる。高名な軍人であったという彼の意志を継ぎたくて、拙くも精一杯の敬礼を返した。
ご安心ください、曽お祖父様。必ずや、より良い未来へ進んでみせます。
自分が至れなくても子が、孫が。連綿と誇りを繋いで見事に務めを果たすでしょう。
同じところを回り続けるようなことがあってはならない。自由は矜持。規律とは継承。
生の全き美しさを証明するため、死の正しき価値を具現する。
私はサヴィトリ。ここに結んだ誓いこそ、義務と信じた栄えある“帝国”の防人だ。
◇ ◇ ◇
死はギャンブルだと定義した。
生きるも死ぬも、しょせんはコインの裏表。切っても切れない関係なので、生きたがりも死にたがりも根本のところは似た者同士だ。苦しみが続くのを嫌がっており、不安を拭い去りたいと願うから、より素晴らしいと思うほうに我が身の未来を賭けている。
そして、実際にどちらが安らぎを生む選択なのかは誰も知らない。これは撹拌が起きる前、不死者が不死者じゃなかった頃も同じだったんじゃないかしら?
死んだらどうなる? 何処へ行く? 天国? 地獄? あるいは無? そうしたものがあるとして、選別基準はいったい何? 善悪という物差しすらも、人の都合で用意された賭け金の一つでしかない。
だからギャンブルと言ったのだ。もっと有り体に評するならただの娯楽だ。今の世界はまるで地獄が溢れたようだとかつて私の先祖が説き、天国への階段を目指して連邦や帝国に分化したが、煎じ詰めればみんな幻想。娯楽に入れ込むことで、日々を張りあるものに変えたいだけ。
だったら彼らを飽きさせないよう、奮って音頭をとる盛り上げ役が必要だろう。歴史ある宗教の家に生まれた私は、教祖として華やかに救済を成さねばならない。
痛いのは嫌。そうですね。怖いのはつらい。分かります。私だってあと五〇年か六〇年で老いさらばえ、色々とガタがきた挙句に崩れ果てて壊者となる。他人事ではない以上、娯楽の提供に手を抜くつもりはまったくなかった。まず誰よりも私自身が、この遊びに全力で興じようと決心する。
死の苦しみがつまらぬものに思えるくらい、人をして熱狂させる概念とは何か。幾つか浮かんだ候補の内、手始めに選んだのは生まれ育ちの都合上、とても身近なものだった。
六つのとき、家庭教師の先生が飲んでる紅茶に毒を盛った。すぐに顔色が青くなり、やがてどす黒く変じていく様はとてもとても可哀想で、知らず涙したのを覚えている。
ごめんなさい、試したいことがあるのです。先生にとっては理不尽な仕打ちでしょうけど、試行錯誤の段階ですから許してね。無駄にはしないと誓います。
詫びながら、心臓が止まったのに痙攣して喘ぐ先生をクローゼットに押し込めた。もちろん当時の私に大人を引きずる力はなかったので、呼びつけた使用人にお金を与え、協力させている。犯行としてはかなり杜撰な部類だが、続く流れを期待してわざと足がつくようにしてみたのだ。
はたして翌日、先生はクローゼットの中にいなかった。のみならず、共犯者の使用人も実家に帰ったという名目で姿を消す。
私は楽しくなってきた。日を改めて今度は幼なじみの男の子を部屋に呼び、花瓶で頭をかち割った。いつも意地悪する子だったので実験対象に選んだのだが、今になって思うと彼は私に恋していたのかもしれない。もしそういうことなら本望だろうし、有意義な関係を築けたと満足している。
そしてクローゼットにまた隠した。やはり同じく翌日には消えた。
婆やを刺した。クローゼットに隠す。信徒の椅子に罠を仕掛けた。クローゼットに隠す。ちょっと迷ったがお母様を犬に襲わせ、いつも通りクローゼットの奥に隠した。
すべて、次の日にはいなくなる。この結果に、実験は九割がたの完成を見た。
誤解せずにいてほしいのだけど、私は殺人鬼なわけじゃない。そもそも誰一人として死んだ者はいないのだから、そのレッテルは間違いというものだろう。さらに付け加えて断るなら、頭がおかしくなってるわけでもなかった。
私は正気のまま冷静に、自分の探求を続けただけだ。よってひとまずの大詰めである、お父様と向き合ったときも定めた姿勢は変わらない。
これまでの経緯を語り聞かせる私の前で、お父様は顔面蒼白になっていた。いつも厳めしく引き締められたお顔は飴細工のようにぐちゃぐちゃで、泣いているのか笑っているのかも分からぬまま震えている。まるで理解を超えた異形の魔でも見るかのごとく、娘の将来に思いを馳せるのが“死よりも怖い”と言わんばかりだ。
ゆえに私はそっと囁く。満面の笑みで、淑やかに。
“お父様がクローゼットに入ってくださるなら、もうこんな真似はいたしません”
後は語るまでもない話で、私のクローゼットには今もお父様がいらっしゃる。お母様たちとは違いずっとずっと、そこに変わらず在り続けている。
彼は救われたに違いなかった。死の苦しみを超越して、娘を守るという“愛”に身を捧げた父の鑑。その娯楽に没頭する限り、神でもこの人を侵せない。
世の救済を成す教祖として、初の仕事は上々の滑り出しだった。以降も私はたゆまぬ精進を積み重ね、もちろんしっかり楽しみながら布教活動を行っている。中でも最近、特に力を入れているのは事象の根源に関わること。
遥かな昔、なぜ撹拌が起きたのか。こうして考えるとごく当たり前の疑問だが、そこに真摯な注意を傾けている人はあまりいない。
まあ、彼らは目先の問題に忙しいはずなので、大局的にものを見るのはこちらの領分だと弁えていた。旗を振る人間の責務として、万事に精通していなければみんなを喜ばせるのが難しくなる。
謎は解いておくべきだろう。痛みに囚われたあまねく魂、嘆きの宇宙を慰撫するために。
私はヴィヴァス。溢れる愛で解脱を描く、“教圏”のエンターテイナー。
2
そうしてついに私たちは、その座標へと辿り着いた。
幾千の戦場。幾万の挫折。幾億もの壊者を積み上げ、この世の果てに到達したのだ。
始まりの地――すべての事象が流れ出し、不死者の源泉たる撹拌が生じた場所。
そこは既存のあらゆる仮説、あらゆる希望、あらゆる神話を滅茶苦茶にした何かだった。広がる異形の地平は言葉にできず、理解へ繋がる縁もなく、ただ“違う”とだけ感覚して私たちは立ちすくむ。
事実上、大義は意味を失った。真なる不死も、正しい死も、謎の解明も何もかもが茶番と化して瓦解する。志は違っても、ただ一つ共有した祈りという名の信念が、コレを前にしたとき別の位相へ裏返ったのは間違いない。
だが、にも拘わらず――
「なるほどね。こうなっちまったからには、仕方ねえな」
私以外の者は皆、変わらず眦を決していた。拳を握り、歯を食いしばって、まさに砕け散らんとしている己の在処を、掛け値なしの怒りによって抱きしめる様は美しかった。
そう、彼らは怒っている。怒るのが当たり前だし怒らなければいけないし、怒ってこそ自分たちは自分になれると分かっていたから怒っていた。
けれど私は、怒れなくて……
そんな資格は持ち合わせないと、“あの子”を亡くしたときに知っていて……
コレに対する処方を次々挙げていくみんなを横目に、たった一人だけ何も言うことができなかった。
自然、こちらに意見を求める声が集中する。
「どうされますか?」
「どうしたい?」
「どう在りたいんだ?」
「何を望むの?」
連なる問いに、自分という存在の根幹が揺さぶられた。
何度も争い、何度も競い、何度も憎み合って何度も語らい、妥協も裏切りも助け合いも経験した果てにここへ至った我ら六人。こんなに密で馬鹿みたいな関係はきっと他の何処にもなく、今後も結ばれないだろうと確信して言い切れる。
……ああ、彼らが好きだ。本当に、まったくいつも始末に負えぬ戦友たち。
「おまえの考えを言えよ、ミトラ」
「私は……」
仲間を大事に思うがあまり、ここでどうしようもない不実を犯した。
中途半端で駄目な私の真我を晒し、彼らに失望されるのが恐ろしかったから偽った。
その自己嫌悪が怒りを生む。土壇場で全部を台無しにする自業自得な挫折の味に、でもどこか喜んでしまう浅ましさが許せなくて……
真我を象徴する言の葉が、当然の結果として紡がれた。
「私が正しいとは、絶対に言わない」
生きるとは、想うこと。
死がない宇宙に生を受けた我々は、願いの内実よりも願うという行為自体に価値を見た。
すべては人の心が織りなす物語。
だからこそ不完全で儚くて、尊く、そして美しい。
この道がたとえどんな結末に至ろうと――
心だけは失わないと、奈落迦の前に座して誓う。
私はミトラ。のちに神座と呼ばれる世界を生んだ、すべての母であり敵である。